Category Archives: ゲスト・スピーカー

熊本城観光とこうのとりのゆりかご訪問

Visit to Kumamoto Castle


Lecture by Taiji Hasuda

この夏の第三セッションのスタート地点である荒尾市での滞在中に、熊本城を訪れる機会がありました!熊本城は日本にある城の中でも最大級の大きさと言われています。日本の暑い日差しの中、戦で52日間の籠城に持ちこたえたと言われる城壁の中を歩き回りました。ガイドさんが熊本城の歴史に関して説明してくれた後、ウォークラリーをして城内を探検しました。

外で昼食をとった後、2006年の5月に赤ちゃんポストが設置された慈恵病院へ向かいました。「こうのとりのゆりかご」は赤ちゃんを捨てざるを得ない親に赤ちゃんを預けるための安全な場所を提供するために、置き去りにされる赤ちゃんの命を助けるための最後の受け皿として設置されました。この病院の理事長の蓮田太二さんはこのような施設は本当はあってはならないものと感じています。この病院では赤ちゃんを置き去りにするのを思いとどまらせるようにカウンセリングするサービスを24時間体制で行っています。

こうのとりのゆりかごの設置以降、相談の件数は10倍以上に増え、500件もの相談が相次ぎました。このような相談に対応できているものの、こうのとりのゆりかご自体が日本で論議を呼んでいます。自分の見解としては、こうのとりのゆりかごは望まない妊娠によって生まれた子供が捨てられ、命を落としてしまうのを防ぐ受け皿と言えるし、必要だと考えます。この複雑で難しい問題の解決には、妊娠と避妊に関してのしっかりとした教育、妊娠中の母親への援助や中絶の規制の強化などが重要なステップになると思います。

(Liz Cullen, Canada)

長崎原爆資料館を見学

Nagasaki Bombing Survivor


Listening to Nagasaki Survivor

7月8日、私たちの最初の正式な見学旅行になる国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れるため、大村市から長崎市にバスで移動しました。

言うまでもなく、世界に2つしか例のない原爆の被害を受けた都市について物語る特別な資料館です。正直言って、この資料館は今まで自分が行ったことのあるそれとは全く別物でした。

原爆の爆発後に収集された色々な展示品や被爆後の犠牲者の写真などを見ることは控えめに言ったとしても目を覆いたくなるようなものでした。資料館にあった生存者の展示についての説明を聞いたり読んだりした時はとても大きな影響を受けました。

映像ではたまに見ることができる長崎原爆資料館ですが、ここは全世界の人々が実際に足を運んで見るべきところだと思います。生でその展示物を見ることで平和のメッセージを読み取ることができるから。

その後、平和公園に行って今日資料館で見たもの、感じたものを自分の国に帰ったときにどう伝えるかを話し合いました。生存者の体験談や資料館での展示物などに直に触れることのできた私たちの意見で最終的に一致したものは、色々な国の歴史的背景や見方を取り入れながら平和へのメッセージを広めていく努力をすることが大切だ、ということです。

(Matt Clyde, Canada)

慈恵病院:こうのとりゆりかご

baby drop off post


presenting stork's cradle

ワールド・キャンパス・インターナショナルでの活動を通して、私たちが体験するものはいろいろあります。ある時は楽しい活動であり、そしてある時には真剣に考えされられるものです。今回訪問した慈恵病院は、命について真剣に考えさせられる場所でした。

この慈恵病院は、日本で唯一の匿名で子どもを、預けることが出来る施設です。

この日の午前中は、1)十代の妊娠、2)両親の責任、3)科学と宗教、という三つのグループに分かれて様々な角度から倫理的な話をグループに分かれて行ないました。世界各国から参加している私たちと、熊本市在住の日本人の学生なども参加して、様々な考えや思いを聞くことが出来きました。これらのテーマに関するそれぞれの国の法律、実際にどのように機能しているのか、同様のシステムが他の国に存在するか等、非常に有益な時間を過ごすことが出来ました。

午後は、慈恵病院にて「こうのとりゆりかご」の説明や質疑応答の時間を設けてもらいました。この中で、「こうのとりゆりかご」を作ろうと思った理由やその背景を伺うことが出来きました。院長は、テレビや新聞で報じられる中絶というニュースを聞いて、とても悲痛な思いになったそうです。そして、同様の施設があるドイツへ視察に行き、2007年に熊本に「こうのとりゆりかご」設立しました。この施設は、子どもを育てることが困難な両親にとっての最後の選択の場です。院長は、自分の子どもを自分で育てることを強く望んでいます。その為に、「こうのとりゆりかご」に子どもを預けた後でも、また預ける前にも、両親に対して希望があればいつでも相談にのる体勢を整えています。

私は、この「こうのとりゆりかご」を見学して、子どもと両親の命を救う場所であると思いました。

アマンダ(ノルウェー出身)

被爆体験者の講話

Nagasaki Atomic Bomb survivor


長崎市の原爆資料館及び被爆体験者の講話を伺ったこの日は、メンバーにとって考え深く、決して忘れることが出来ない日になりました。被爆体験の講話をしてくださった吉田勝二さんは、原子爆弾が投下された1945年8月9日、当時13歳の時に、爆心地より850メートルのところで被爆しました。

学校へ通学途中に、爆弾が投下され、その時の爆風で彼は40メートル飛ばされ田んぼの中に投げ飛ばされました。彼は四ヶ月間もの間、意識不明の状態であり、病院での診察を受けていました。彼の両親は、彼を探し出す為に瓦礫の中を歩き回り、それによって大量の放射線を浴び、結果的に亡くなってしまいました。今日彼のように爆心地より1キロ以内の屋外で被爆し生き残っている人は殆どいません。

吉田勝二さんは、当時生きる希望を持つことをためらっていました。それは、彼が体全体に追った傷があまりにも目に余るものであったからです。右の顔や腕は、皮膚が完全に燃焼し、中から筋肉が見えていたといいます。手術の傷跡、及び火傷の跡による黒々とした顔によって、彼は周囲の人々に笑われたといいます。

今日も、吉田勝二さんは長崎原爆病院及び長崎大学病院整形外科で、治療を受けています。彼は二度とこのようなことを起こさないためにも、当時の出来事を人々に語り継ぐ語り手として自らの被爆体験を語り続け、「平和の原点は人間の痛みがわかる心を持つことです」というモットーを人々に広げ続けています。

レイチェル(スイス出身)

トヨタ自動車訪問

asking questions at Toyota visit


a Toyota hybrid car

豊田市での訪問において、訪れないでいられないのは世界の自動車製造業社であり、また街の名前までも変えてしまったトヨタ自動車訪問です。非常に効率的に計算されて作られている製造工場の見学後、私たちワールド・キャンパス・インターナショナルのメンバーは、世界的企業であるトヨタ自動車本社において、普段ではなかなか行うことができない質疑応答の時間を担当者と行うことができました。
このトヨタ自動車訪問で、私たちは世界的企業であるトヨタ自動車の企業哲学の一端を学ぶことができました。品質管理は全ての製造工程で実施されており、ある作業工程で不良品や欠陥品が見つかれば、その場で対処するという方法を取っていました。この「自動化」という手法は有益であり、作業の効率性をあげるものであると思いました。さらに、トヨタ自動車では「ジャスト・イン・タイム」という手法を採用しており、これは必要な時に必要なだけの部品を準備し、在庫を必要最小限に抑えるというものでした。また、在庫をできるだけためないという方法も取り入れており、これにより仮に新しい規格のパーツができても、既存の使えなくなった在庫を処分するための様々なロスやコストを削減することができます。
トヨタ会館では、トヨタ自動車が実施している様々な社会活動についての話も伺うことができました。その活動は純粋には利他的とは必ずしもいうことはできないが、しかし国際的企業としての「企業の社会的責任」の一端を垣間見ることができたことは、有益な時間でした。トヨタ自動車は、教育や環境分野をはじめとして、さまざまな国々で社会貢献活動を実施していました。